ZERO Vol.12, No.2 Spring 2013

page 6 ~ 13

 


      SPECIAL INTERVIEW

Mr. Willi Geller

在・去・来を語る

ー 語られなかった過去が明らかに ー

 

2012年9月15〜17日、Mr.Gellerが再来日。

山本 眞氏ら主催の日本4都市連続「東日本大震災復興支

援チャリティ講演会」の最終地、東京会場 にて精力的に

実習会 および 講演。相羽氏 の 全面サポートをいただき

Mr. Geller に会期中、断続的 にインタビューを行なった。

 

インタビューアー:相羽 直樹

                                (Science Art, inc. / Oral design Center Monterey)

 

写真協力:相羽直樹

                  赤坂政彦(TECNOART Dental Research Center)

                  佐々木 純(アプローズ)

                  常泉 貴史(Artisan Ceramic)

*クレジット記載の無い写真はすべて佐々木氏の提供

による。

 

  Mr. Geller が 歯科 技工 士 に なるまで

 

 幸せ だっ た 幼少 期

相羽 : あなた は どんな 幼少 期 を 過ごさ れ た の です か 。

 

Geller : 幸せ な子供でした 。 質素 で 幸せ な 生活 でし た 。 田 舎 に 住ん で い て 、 ボール が あれ ば サッカー を し て 、 石があれば 石 で 遊ん で い まし た 。 質素 な ライフ スタイル が 好き な の は 、 今 も 変わり ませ ん 。

 

 相羽 : 歳 を とる と 子供 の ころ を 思い出し ます よ ね 。

 

Geller : 歳 を とる と 、予供 の ころ の 生活 が いかに シンプル だっ た かが わかり ます 。 小さな こと で も 幸せ を 感じ られる よう に なり まし た 。私 は 、 物 で は なく 人 が 好き です 。 人 が 私 を 幸せ に し て く れ ます 。 私 は 人 が 好き な の です が 、 必ずしも 人 は 私 の ことを 好い て くれる わけで はありませ ん 。それでも 私 は 人 が 好き な の です 。

 

 相羽 : 歯科 技エ士 は 、 幼い ころ から 細かい 作業 が 好き

 だっ た と 言う 人 が 多い です が 、 あたな は いかが でし た か 。

 

Geller : 私 も 、 もの を 作る の が 好き でし た ね 。 日曜 大工 やガーデニング など … 。 でも 車 の メカニック は あまり 好き で は あり ませ ん でし た 。

 

相羽 :  若い ころ から もの を 作る の が 好き だっ た の です か ?

 

Geller : はい 、 いつも そう でし た 。

 

 

 相羽 : どんな もの を 作っ て い た の です か ?


 

 

Geller : たとえば 、 私 の 実家 は オーストリア の 大きな 湖 ( コ ンスタンス 湖 = Lake Constance ) から 200m の ところ に あっ た の です が 、 ヨット を 作っ て レース を し て い まし た 。 そして クルー の 一員 に なっ て 、 ヨット の 掃除 から 始め て 、 ついに セーラー に なっ た の です 。 子供 の ころ の 話 です 。

 

相羽 : ああ 、 そう やっ て セーラー に なっ た の です ね 。 だ から 、 ヨット の 上 で は リラックス し て 子供 の ころ の 楽しかっ た こと を 思い出し たり する の です ね 。

 

 Geller : はい 。 小さい ころ から セーリング が 好き だっ た の です 。 もちろん 今 は 、 自分 の ヨット で セーリング を 楽しん でい ます 。

 

 

 歯科 技工 士 に なっ た きっかけ

 相羽 : あなた は どうして 歯科 技工 士 に なっ た の です か ?

 

 Geller : 偶然 でし た 。

 

 相羽 : そうですね 。 たくさん の 人 が 歯科 技工 士 という 職 業 自体 を 知り ませ ん から ね 。

 

 Geller : そうですね 。

 

 相羽 : では 、 どう やっ て 歯科 技工 士 という 職業 を 知っ たの ですか ?

 

 Geller : 私 も 知ら なかっ た の です 。 私 の 兄 の ヨット 仲間 が 歯科 医師 で 、 その 歯科 医師 は 情熱 的 で 、 絵画 など が 好き な 芸術 肌 の 人 だっ た の です が 、 兄 に 歯科 技工 士 に なっ て み ない か と 聞い た そう です 。 兄 は 興味 が なかっ た ので 断った らしい の です 。 私 は 当時 すでに 捺染*(なつせん) の 見習い を し て い た の です が 、 あまり 満足 し て い なかっ た ので 転職 を 考え て い た ところ に 、 兄 が 歯科 技工 士 の 話 を もっ て き て くれ た の です 。

 

そこで 近所 の ラボ を 見学 に 行こ う と 思っ た の です が 、 当 時 、 私 の 住ん で い た 町 に は 2 軒 しか ラボ が なく 、 両方 とも 2 、 3 人 の 歯科 技工 士 しか い なく て 、 それ 以外 は 院内 ラボ でし た 。 それでも 、 歯科 技工 士 に なっ た の です 。

 

 相羽 : あなた が どうして 歯科 技工 士 に なっ た の か 、 初め て 聞き まし た 。

 

 * 繊維 製品 の 染色 手法 の ひとつ 。

 

 

 尊敬 する 人 、 影響 を 受け た 人

 相羽 : 尊敬 する 歯科 技工 士 · 歯科 医師 や 、 影響 を 受け た 方 は いらっしゃい ます か ?

 

Geller : 影響 を 受け た 歯科 技工 士 は あまり い ませ ん でし た 。 なぜなら 、 当時 は 歯科 技工 士 に ステージ ( 講演 する 機会 ) が 与え られ ませ ん でし た ので 、 有名 な 歯科 技工 士 が いな かっ た の です 。 ですから 、 尊敬 する 歯科 技工 士 に 出会う 機 会 が あり ませ ん でし た 。

 

 しかし 、 私 に は 師匠 が い て 、 彼 の こと を 父親 の よう に 尊 敬 し て い て 、 師匠 は 私 の こと を 息子 の よう に 愛し て くれ まし た 。 いい 関係 だっ た と 思い ます 。 おそらく 私 の 師匠 は 、 私 が 歯科 技工 という 仕事 を 愛し て いる の を 見 て 、 私 に 愛 と 自 信 を 与え て くれ た の です 。 人 を インスパイア ( inspire = 激励 する ) する という こと は 、 とても 大切 です 。 私 は 、 師匠 から インスパイア さ れ て 歯科 技工 の 仕事 を 愛する よう に なり まし た 。 師匠 は 、 本当に 歯科 技工 を 愛し て い まし た 。 歯科 技工 が 好き すぎ て 、 まだ 50 歳 の 若 さ で 技工 机 に 向かい ながら 仕事 中 に 亡くなっ た の です 。

 

 



 歯科 技工 士 として の 歩み

 

 Mr. Geller は なぜ 有名 に なっ た の か

 

相羽 : あなた が 著名 に なら れ た きっかけ は 何 だっ た のでしょうか 。

 

Geller : わかり ませ ん 。 みずから 有名 に なろ う と 思っ た こと は あり ませ ん 。 間り の 人 から プッシュ さ れ て こう なっ た ので す 。


以前 、 大きな ラボ で 働い て い た の です が 、 周り の 人 が私 は 人 と 違っ た こと が できる と 思っ て い まし た 。 私 も 人 に 見せる の が 好き でし た し 、 社交 的 な 性格 な ので 友達 が たく さんい て 、 ある 日 ラボ に 実習 会 に 来 て ほしい と 頼ま れ 、 ス ライド も 持た ず に 、 プリント 写真 だけ を 持っ て いっ たり もしました 。

 

 私 は 思う の です 。 私 が 本当に 有名 な の でしょ う か 。 なぜ人々 が 私 を そんなに 有名 に し たい の かも わかり ませ ん 。 私 は 私 な の です 。 私 と 写真 を 一緒 に 撮り た がる 人 が いる ので すが 、 それ も あまり 理解 でき ず 冷静 に 見 て しまっ て い ます 。

 

相羽 :  あなた は 、 たくさん の 歯科 技工 士 に 影響 を 与え 、たくさん の 歯科 技工 士 が あなた に インスパイア さ れ て います 。

 

 Geller : もし 、 人 が 何か 素晴らしい もの を もっ て いる なら 、それ は 神 から 与え られ た もの です 。 私 は ただ の 道具 で しかあり ませ ん 。

 

相羽 :  あなた は 、神 から の メッセージ を 人々 に 伝え て いる という こと です か 。 それ は 、 とても 美しい こと です 。

 

Geller :  そう 、 私 は 神 の 道具 で 、 メッセージ を 伝え て いるだけ な の です 。 神 が 私 を 選ん で 、 メッセージ を 伝え て いる の です 。 それ だけ な の です 。

相羽 :  あなたはメッセンジャーということですね。 確かにそうです。

 

Geller :  私は、メッセンジャーであることに幸せを感じています。メッセージを伝えることが使命なのですが、 あなたも知っての通り、私は人に自分の考えを押しつけるのが好きではありません。考えを押しつけることもできないし、たとえば女性に私を愛するように押しつけることもできません。不可能なのです。

 

相羽 :  同感です。 たくさんの歯科技工士があなたの情熱にインスパイアされています。

 

Geller :  歯科技工は、本当に美しい職業です。それは確かです。前にも言ったかもしれませんが、人生の中でする多くのことは好きだからやっているのです。好きで才能があると、情熱が沸きます。好きでも思うようにできないと、そんなに情熱的になれないと思います。

 

相羽 :  "Love”が一番大切だということですね。

 

Geller :  はい、そう思います。

 

 


Creation 陶材開発の背景

 

相羽 :  あなたは長年にわたってセラミックスに関してつねに新しい展望をおもちで、それがCreation陶材を開発するきっかけになりました。具体的に、Creation陶材を開発された背景を教えてください。

 

Geller :  Creation陶材を開発する前にも、いろいろな会社から陶材開発のお話はいただいていましたが、Creation社の社員が同級生だったので協力することにしました。実際には私の名前だけが使いたかっただけらしかったのですが 、 まだ 商品 開発 も さ れ て おら ず 、 誰か が やら なけれ ば な ら なかっ た ので 、 結局 私 が やる こと に なっ た の です 。 それ だけ の こと です 。

 

相羽 :  私 の 記憶 が 正しい と 、 Creation 陶 材 を 開発 する 前 は VITA 社 と 仕事 を し て おら れ まし た よ ね 。

 

 Geller :  はい 、 VITA 社 から も 話 を いただい て い まし た 。

 

相羽 :  VITA 社 と の 商品 開発 に 限界 を 感じ た という こと で すか 。

 

 Geller : そう です 。 当時 、 VITA 社 の 陶 材 の 種類 に は 限り が あり まし た ので 、 陶 材 や ステイン を 調合 し ながら 使っ て い まし た 。 調合 の 経験 を 積み 、 たくさん の アイデア が あっ た の です が 、 商品 化 さ れる はず は ない と 思っ て い まし た 。

 

 しかし 、 Creation 社 から 商品 開発 の 話 を いただき 、 商品 化 さ れる 可能 性 が 出 て き た ので 、 私 の アイデア が 死ぬ こと なく 活かさ れる こと に なっ た の です 。

 

 相羽 :  私 が あなた に 会っ た 最初 の ころ 、 黄色 や オレンジ の ステイン を 透明 陶 材 に 混ぜ て カラー トランス ルーセント パウダー を 作っ て い まし た 。

 

 Geller : よく 覚え て い ます ね 。 皆 、 そういう 陶 材 の 商品 化 は 不可能 だ と 言っ て い まし た 。 でも 、 そんな の 気 に し ませ ん でし た 。

 

相羽 :  あなた が そういった 特殊 な 陶 材 を 商品 化 し たら 、他社 も 追随 し まし た 。

 

 Geller :  Creation 社 は 小さな 会社 だっ た の です 。5 人 くらいで やっ て い まし た 。

 

 

Co-Cr合金の臨床応用をどう見ているか

 

相羽 :  金 の 高殿 により 日本 で は CO - Cr 合金 など の ノンプ レシャス 合金 が 使わ れる よう に なっ て き て い ます が 、 どう 思わ れ ます か 。

 

 Geller :  私 に も 同じ よう な 経験 が あり ます 。 35 年 くらい 前 でしょ う か 、 スイス の 大学 の 歯学部 の 学生 達 から の 仕事 を 請け負っ て いる ラボ で 働い て い た とき に 使っ て い まし た が 、好き に はなれ ませ ん でし た 。

 

しかし 、 現在 は まったく 違う 状況 に なっ て い ます 。 今日の セラミックス 、 ノン プレシャス 合金 の 品質 は 共に 進化 し て 、 両者 が 合う よう に なっ て き まし た 。 ボンディング 、 色 、 酸化 膜 など … 。

歯科 治療 は 、 もっと 社会 的 で ある べき です 。

 

相羽 :  もっと 世の中 の 多く の 人 が 歯科 医療 を 受け られ れ ばいい という 意味 でしょ う か 。

 

 

 Geller :  はい 、 これから 、 もっと 多く の 人 が 受ける こと が できる べき だ と 思い ます 。 しかし 、 それ は 技工 料金 を 安く するとか 、 歯科 技工 士 が 生活 を 犠牲 に し て まで 行わ れる べきではありません。我々は、いい商品を使うべきです。金属を「プレシャス」または「ノンプレシャス」と呼ぶことにより、「ノンプレシャス」は劣った商品のように思われがちです。間違った表現ですね。商品の名づけ方が間違った印象を与えてしまっています。

 

相羽 :  「プレシャス(=貴重な)」と「ノンプレシャス(=貴重ではない)」という名称だけのことで、印象が変わってきてしまいますね。

 

Geller :  名称が商品の質を下げる印象を与えているだけのことで、本来そういったことが行われるべきではありません。しかし、今日の補綴装置の審美性をもってすれば、セラミックスの下に何があるか誰もわかりません。

 

相羽 :  セラミックスの質も上がってきて、ノンプレシャス合金にも理工学的に合うようになってきたということですね。

 

Geller :  そうです。セラミックスの物理特性が改良されてました。

 


■ 東日本大震災に思うこと

 

  何も話すことができなかった

 

相羽 :  今回の東日本大震災についてお聞きします。 チャリティ講演会のために来日され、実習会と講演をしていただき、ありがとうございました。

 

Geller :  震災直後、片岡繁夫先生から日本の歯科技工士に向けてメッセージを送ってほしいと頼まれました。 私は、内海賢二氏(KEN-Dental Laboratory)小田中康裕氏(oral design彩雲)に電話をしたのですが、 あまりの衝撃で言葉が見つかりませんでした。 テレビで映し出される映像にもショックを受けていました。

 

相羽 :  私は、今でもそういった映像を見るのが辛いです。

 

Geller :  何も話すことができないと言ったら、 彼らもそれを理解してくれました。 片岡先生からのお願いはずっと心の中にあったので、しばらくして小田中氏に連絡して、 このチャリティ講演会の会期中にできることはないかと相談して、実習会をすることにしました。

情熱をもち続けてほしい

 

相羽 :  講演の中でたくさんメッセージをくださることと思いますが、若い歯科技工士達に何かメッセージをいただけますか。(編集部駐: このインタビュー項目は、 Mr.Gellerの講演前に収録した)

 

Geller :  歯科技工界は、 若い歯科技工士にこの業界の将来はないように思わせるかもしれません。

 

 

 

 

相羽 :  そうだったのですね。

このチャリティ講演会は日本全国4会場で行われ、 今回の東京が最終地でした。 数多くの歯科技工士がこの講演会に参画しました。このチャリティ講演会をどう思われますか。

 

Geller : 人と話すときには、 目を見て話すのがベストだと思います。それが私にとっては唯一の方法です。 直接話すことによって、反応を知ることができます。 もちろん、昔から知っている人達に再会するのは嬉しいのですが、 今回は喜びだけではありません。皆で泣いてもいいと思うのです。辛いことがたくさんあったのですから。

 

この災害は日本だけではなく、世界のものです。日本だけでなく世界各国が学ぶことなのですが、 まだ世界中で原子力発電所が稼動していて、学んでいないように思います。チャリティ講演会で我々が何をやっているのかと思う瞬間があったのですが、我々は助けたいのですが、もし変わらないのなら助けになりません。このチャリティで集めたお金は、どうなるのか。我々は、本当にお金が必要な人達だけにお金が届くようにしなければなりません。

 

もしかしたら、歯科ジャーナリスト達が助けてくれるかもしれません。これもチャリティ主催者の責任のひとつです。

 

 

 


相羽 :  CAD/CAMマシーンなどの影響ですか?

 

Geller :  CAD/CAMは、歯科技工業界においてはまんの一部分だと思います。小規模のラ法は、 今日と同じような事業形態で続いていくと思います。歯科技工士、歯科医師、患者の三者聞でのコミュニケーションが、よい歯科医療につながると思います。

 

昨日、実習会に来た学生さん達がいたのですが。*編集部駐:Mc. Gellerの実習会中、患者立ち会い場面を見学したのは愛援の河原医療大学校歯科技工学科の1、2年生の6名。河原医療大学校は海外ラボの情報集を精力的に進めているという。今回、学生みずからが実習会主催者に連絡をとり見学を希望した。まだ歯科技工士になっていない学生がMr. Gellerのことを知っており、みずから連絡をとった情熱に、Mr. Gellerは感動した。

 

相羽 :  愛媛の歯科技工士学校の6人の学生達ですね。

 

Geller :  彼らから、歯科技工に対する情熱が溢れていて感動しました。これからも、歯科技工に情熱をもち続けてほしいですし、つぶされることのないように頑張ってほしいと思います。こういう情熱をもった若い人に会うと、私まで感化されます。

 

しかし、我々は若い人に何かを与え続けるのではなく、彼らが自分からやるべきです。そうしなけれぼ、彼ら自身の心の中に成功したという実感が沸きません。与えられたものからは幸せは得られません。

相羽 :  2011年1月号のZEROであなたに巻頭インタビューを受けていただきましたが、たくさんの歯科技エ士が読んで感動したと聞いています。

 

Geller :  ZEROは創刊号からもっていますが、創刊時の新鮮さが懐かしいです。 でも、最近は新鮮さを失ってしまいました。サメのようにアグレッシブに歯科界に影響を与える存在になってほしいと思います。多少のリスクを伴ったとしても、どこもやっていないような斬新な企画をやってほしいです。ZEROにはあまり広告が入っていません。もちろん、アグレッシブになりすぎると広告料が減って、死活問題になります。それは、理解できます。

 

有名な歯科技工士だけでなく、 若い歯科技工士にチャンスを与えてはいかがですか。 若い歯科技工士は、 自分の名前がジャーナルに載ることによってモチベーションが上がります。 学校行事、歯科技工界でのニュースなど、小さいことでいいのです。若い人達はグループに所属したがります。 そんなにお金をかけなくても、地方で小さな講演会などを開いて若い歯科技工士に参加を呼びかけてはいかがでしょうか。

 



 

"Overflow"

 

相羽 :  最後に、被災された方々へメッセージはありますか。

 

Geller: 講演で観せる”Overflow"が、被災された方々を含め、すべての方々へのわたしのメッセージです。

 

 

 "Overflow"

 

私は、子供のころから芸術が好きでした。 しかし、 才能がないとわかってからは、芸術作品を収集することが趣味になりました。 ですから、 芸術がなければ生きていけない、 友達がいなければ生きていけない、 愛がなければ生きていけないのです。

 

ある芸術家の患者がいました。 彼は乏でお金をもっていませんでした。彼はビジュアルアーティストで、作品を作りました。タイトルは”Overflow"です。彼は24歳で、 "overflowの(ものがありあまっている)"世の中に疑問をもっている若者の一人で、このビデオを作ったのです。このビデオを観ていろいろなことを考えさせられました。 とても感動したので、治療費の変わりにこのビデオを買いました。

 

生産される食料の30%は破棄されるそうです。 一方、世界では食べるものがない人もいます。食べすぎで肥満になっている人もいます。 私達の環境はストレスでいっぱいで、木が伐採さて自然環境が破壊され、公害も起こっています。 こうあるべきではないのです。

 

こうした災害は、神の警告かもしれません。今回の地震は日本で起こったことなのですが、 世界中の国がこの災害から学ぶことがたくさんあります。お金が解決する問題ではありません。神は、我々が必要のないものまで追い求めていると警告しています。 我々は2台目の車、 3台目の車なんて必要ありません。毎日車でここかしこに行く必要はないのです。暖房や冷房でそんなに部屋を暖めたり冷やしたりする必要があるのでしょうか。考えてみてください。

 

こういうことをやめることによって、 たくさんのことが改善されるのではないでしょうか。津波が起こったことはどうしようもないのですが、 原子力発電所がいらない生活もあったはずです。 一人一人が少しずつ量を減らせば、大きな結果を産み出すことができたと思うのです。 私は道徳家になりたいわけでも、 考えを押しつけたいわけでもありませんが、もし同感してくださるのでしたら、 自分で決心して自分から動いてみてください。

 

私も、昔からこういう考えをもっていたわけではありません。 約20年前に体を壊してから、 道徳的にいこうと考えるようになりました。 生きるとか死ぬとかではなく、 いかに道徳的に生きていくか。今回の震災を期に、あなたも考えてみてください。

 

                          ーOverflow