oral design group

Gellerは、「oral design」をそもそもgroupにするために作ったわけではありませんでした。「oral design」は、あくまでも彼の仕事に対する「哲学」、「システム」を総称して呼称することで、歯科関係者に上記のことをイメージしやすく普及させる事が目的でした。

 

oral designを提唱後2年後に、 Giuseppe Zuppardi  が「私も「oral design」を名乗っていいですか」とGellerに聞いてきました。そんな質問をしたのは彼が初めてです。 Gellerの答えは一つ「もちろん」。こういったきっかけ

Willi Geller and Giuseppe Zuppardi
Willi Geller and Giuseppe Zuppardi

で、Gellerの「哲学」、「システム」に賛同する者が現れ、oral designはそのように自然にグループに成長していきます。 

 

当時、Gellerの仕事の多くは国外から来ていました。これらの仕事は 今のデジタルの時代と違い、距離的なものから頻繁にやり取りすることが出来ず、時間に追われる日々でした。そこには、補綴物の形態や色調の失敗は許されないというプレッシャーもあり、それが彼にとって強度のストレスとなり、彼自身あまり納得の行く仕事の結果が出ていませんでした。その仕事ぶりは、リラックスして作業している時に製作する仕事の品質では決してありませんでした。 これでは、彼が唱える「oral design」の哲学に反しています。このような理由からGellerは「各国にoral designのメンバーがいて、その国の仕事を私の代わりにやってくれたら、どんなに幸せなことであろう」と考えていました。そういったタイミングでのGiuseppe Zuppardi   のメンバー加入の申し出だったのです。

 

Gellerは、oral designグループの成り立ちについて語る時には、Giuseppe Zuppardi のエピソードのことを必ず話します。もちろんそれはoral designグループの成り立ちの上では重要なことではありますが、当時のoral designに対する背景や、Gellerの心の中を想像しますと、oral designを立ち上げるまでの歯科医師からの逆風、それによる孤独感、他の苦労等に対して他国から賛同する歯科技工士が出現したということが、Gellerはすごく嬉しく、心強く思った出来事だったのではないかと想像します。

 

Ruud さんが最初にグループに参加しましたか?

2) ルードさんの記憶違いですか? (1993年の間違い?)

以下は彼のテキストです:

しかし、私たちはこの鮮やかな半透明の天然磁器を信じていました。

当時、Drijfhout 社はこの新しい磁器を販売していました。

当時、私はオランダでこの磁器の生産を開始するのを手伝い、クリエーションの新しいバッチでも良い結果を示しました。

その時、私たちは新しいバッチをテストし、その時は緊密に連絡を取り合い、チューリッヒ (ウィリー・ゲラー氏) とプフォルツハイム (ギルバッハとアンドレアス・コピエッツ) に旅行しました。

定期的な相談と経験の交換のため。

その結果、マスター ウィリー ゲラーがイニシアチブを取り、オーラル デザインを設立しました。

これが最終的に、この優れた製品と組織のオーラル デザインにつながりました。

これにより、マスター ウィリー ゲラーとの強い絆が生まれました。

 

Gellerは、oral designを提唱しながら多くの講演会で講演を行い、そして、ハンズオンコースをおこなっていきました。彼のまわりには多くの歯科界の人々が集まって来て、その仕事仲間の友人関係は、本人の意図とは関係無しにどんどん広がっていきます。それとは反対に、彼のハンズオンコースに集まってくる受講生のなかからは、良いセラミッククラウンを作れる技工士はなかなか現れてきませんでした。そういった理由からGellerは、「もしかしたら自分は歯科技工を教えるのが下手なのではないか」と感じはじめます。彼は、この様な活動を行なってから7、8年ほど経った頃でしょうか、Gellerはふと、あることに気が付きます。「私の周りには技工が上手い人間がたくさんいる!」ということでした。Gellerはそういう気づきから、コースや講演をプライドを持って行いつづけました。彼にとってこれに気づけたことは素晴らしい発見でした。oral designメンバーは、現在では35か国135名のメンバーにまで大きなグループになりました。(2022年8月現在)このグループはユニークで、最近では歯科医師のメンバーもいますし、歯科技工士は最近では多方面の才能の集まりにもなっています。oral designは、歯科技工士の猛者の集団です。この猛者の集団をコントロールする猛獣使いにGellerは必要な存在です。

 

Gellerはここについて多くは語りませんが、oral designグループは表の技術の集団だけではなく、国別、人種、宗教、職業別等の差別をなくしたいという大きな想い、願いも込められて集団を束ねています。

 

oral design groupは今日では国際的になり、我々oral design メンバーだけで講演会を行なえるまでに成長しました。Violiが主催の1992 oral design meeting in Rome、1998年4月25日にはギルバッハ主催のオーラルデザインのメンバーを招聘し講演会が行われました。

1998年4月25日にはAMNN GIRBACH主催の講演会後のパーティの様子。

 

同時期には、ミッドウィンターミーティングに合わせた、Jensenの会場ブースに世界のオーラルデザインのメンバーが召集し、各自、自分のテーブルを持たされ、タイムテーブルに沿ってデモンストレーションをoral designシンポジュウムの実験的なもののような形で依頼を受けながら行なっていました。

1995年頃のJensenのLab dayの様子。

 

こういった活動を進めていく中で、oral designメンバーという個々がお互いを意識し合い、それがお互いに良い刺激を与え、メンバー同士の集いに喜び、そして楽しみ、その個々の技工士の集まりがグループとして力強く意識し成長していきます。1998年頃にグループの会議の最中、「これからは我々発進の講演会をおこなっていったらどうだろうか?!」という意見がJason Kim から発せられました。この時に、Gellerの頭の中には「2nd International Symposium on Ceramic」での主催のMr. Hasse(クインテッセンス出版の前社長)の思い出が甦り、リンクし、「主催は我々の手で行う」とルールを定めることとなります。

 

oral design 世界各国で行われたシンポジウムの数々

oral designシンポジュウムは、2000年のアメリカ ニューヨークを皮切りに開催していきます。こうしてoral designシンポジュウムは、基本的に2年に1度のペースでoral designがシンポジュウムとハンズオンコースを主催、開催し、経験を積み重ね、2022年までに10回の開催を世界の各地でおこない、好評を得てきました。しかし、すべてのシンポジュウムで経営的に成功を収めたわけではありませんでした。ここにはホスト国の主催者の手腕が活かされる処でもあり、歯科文化の表れる処でもあります。そういった失敗にも目を向け我々は経験とし、学んでいきます。

 



 oral design groupは、こういった活動を通して、世界中のたくさんのメンバーと繋がっているということを、実感することができます。我々は世界中のどこへ行っても、常に誰かメンバーが存在します。これは、Gellerがoral designの活動を続けてきた人脈の結果であり、最近ではSNSの普及も発達し、各国で交流が容易に行われるようになりました。1984年に「oral design」を掲げた当時Gellerはこのグループの存在をイメージできていたのでしょうか?! Gellerが掲げたこのコンセプトに自然に人が集まり、自ずと成長していきました。

 

Personal connections and friendships are irreplaceable.
Personal connections and friendships are irreplaceable.

 こうして「oral design」は、2023年現在では36カ国、 計136名のグループにまで成長しました。oral designの規模でもある「人の輪、人脈」はにわかのものではなく、長い年月をかけた、我々のかけがえの無い財産でもあります。